神の光を見たことがある件

あの2ページ漫画の詳細です。
もう消してますが過去ブログにのせてた記事がファイルあさくってたら見つけたのでお知らせです!
無理やりなはじまりですが、よろしくお願いします。
高1のころでした。
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それでもって、実はみたのは今年の9月か10月かその頃。
だいぶ前のことだ。

大分にいるばあちゃん家に行く手前で、湯布院正心館に泊まった。かあさんいわく、うるさいから迷惑かけるということだった気がする。(じいちゃんもなくなったころだし)

正心館では、お祈りとか反省とかしようかなというノリで夜9時か8時ごろ礼拝堂にいくと、入口の前の看板には夜10まで「自由瞑想」と書いてあった。
(瞑想しないけどまあ、いっか)
と扉を開け、中に入る。

一番奥の中央には白く大きなエルカンタ―レ像。そして座る椅子が左右に何列かずつ。

適当に後ろ辺りに座る。

お祈りを終わらせ、

そこで考えた事はまず、自己中心についてだったと思う。
「自分の事ばかり一日中考える人が自分中心ということは、世の中の人間はそのどっちかの二通りに分けることができるんじゃないか」と勝手になんか決めて、それから

人はどういう存在かというのを根本的に理解できたのがこの時だ。

総裁先生の本で「人間の本質は魂である」だったっけ、ま、心だ心。肉体は論外。
まとめるとそういうことを知ってたがその理解はあくまでも字の上だけだった。

元々は自分の心の中が、何かすっきりしないものを取り込んでた感覚はあり、その原因を考えるところからがきっかけだ。

で、文字で表すと伝わりにくいのが難点だが、
深く内に入って考えて行くと
「人は「思い」で、この自分というのも思いの連続でできている。魂と言うのも思いの記憶だ」というのがなんか分かった。

言葉じゃ理解しているつもりでも、深い所までは理解できてないということを知ると、仏法真理の深さを実感した。



神の黄金の光を見たというのは、自分の心を深く見直してみようと思った時だ。

なぜか自然と瞑想になっていて、自分の心が、きたない色でそまり、いばらがある。というイメージが湧いた。

はい、きたねー。廊下掃除をがんばってやってる時、通りがかりの国語の先生から心がきれい!とか言われたけと、どこがきれいだ。まだまだだよ((

こんなんでも神様は愛して下さっているというのだからどんだけ慈悲深いお方であろうかと思った。

色々と反省をした気がするが、忘れたので記憶にあるのだけ


で、小4のころから。
「なんかむかつく」と偶然聞いた言葉から始まっていった他人拒否。
これも自分中心の考え方からなんですけどね;


結局これも深い所までいってはいないが、理解してからは
「自分と他人をわけていた」
というのが根本にあるのをこのとき、確認した。


だからピークの小5には

周りから避けられているような気がして、自分は他の子とは違うからだ。

と勝手な妄想をし、(まあ現実いじめられてたらしいがそんなのきずかなかった)

かなり傷ついていた。




自分と他人は本当は別の存在じゃなく、同じ神の子で、神様はみんなを等しく愛されている。


このことを知らなかったから、感じられなかったから、壁をつくった。

どうにかしてみてしまった自分の心のイメージをきれいにしたいと頑張ってた。

そのころだ、薄らと少し目をあけてみると、
視界に飛び込んできたのは


黄金の光に照らされたイスの足と床。もっと広く言えば礼拝堂だった。


ここで黄金の光をはなつエルカンタ―レ像かと思った人すみません;


それでも「いだいさ」は感じた。この光が礼拝堂をつつんでいると思うと、本当にそう感じた。宇宙をも包み込んでいるといった感覚だった。
元々の礼拝堂の明かりはオレンジ色で、しかも像も白。黄金の「お」もない部屋だ。みた時はまさかとは思った。部屋はオレンジ色ではなくて、黄金の光で照らされていたというのも驚きだし、

てっきり神様の色は黄色かとおもったし、白いまぶしい光かなーとか思ってたからなおさら驚いた。

というか黄色と白の出所はすでに正心宝語(祈りの本)にかかれてるし!((


なぜか分からないけど
泣いてた気もする。


この光を見た後、別にすごい確信とかそんなのはなかったが、


ただ

前にすわっていた人がちょうどたって、間の通路をあるいていったので

あの人の光か?!まさか、人間にばけた天使か?!

みたいな勘違いを少しして、その人が出て行くのをガン見していた。
出て行ってもまだ見ていたので
さぞかし変なこどもだろうと思われただろう。


そして、
あとからよく考えてみるとエルカンタ―レの光だというのが分かった。








ここまで読んでくれてありがとうございました!


人は思いだというのを深く理解したのが大きな発見だったです。光見たのはおまけな感じでした。

あと、文中の神様はエルカンタ―レのことをいっています。

エルカンターレは仏ともいわれる存在ですがここでは神という表現にしています。